小國神社(小国神社)と大己貴命(大国主命)と「ことまち」
小國神社(小国神社)では大己貴命(大国主命)を祀っていますが、何故、小國神社(小国神社)というのかは、出雲の大本宮に対する遠江国地方の呼称だからだそうです。
一方、古来より許当麻知(ことまち)神社(願い事を待つ意)、事任(ことのまま)神社(願い事のままに叶う意)とも称されてきています。「ことまち」の名称は、小國神社の中にある「ことまち池」に受け継がれています。また最近できたお店の「ことまち横町」も、この故事に由来しています。
小国神社の御祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
小国神社でもお祀りされている大己貴命(おおなむちのみこと)は、須佐之男命(すさのおのみこと)の御子になります。父である須佐之男命(すさのおのみこと)神の命令によって豊葦原(とよあしはら)の国を開発し、稲穂が豊かな瑞穂の国に造り上げました。それ故、天孫に国土を奉った大功を収めたとして、この功績を称えて「大国主命(おおくにのぬしのみこと)」と呼ぶようになったといいます。
大国主命(おおくにのぬしのみこと)は別名、、国作之大神(くにつくりのおおかみ)、大穴牟遅神(おおなむじのかみ)とも称します。
大国主命(おおくにのぬしのみこと)を言い表す表現はほかにもあります。 大国主命(おおくにのぬしのみこと)は、農業・山林・鉱業・縁結び・医薬禁厭の法を授け給う徳があるため、これを称えて「大物主神(おおものぬしのかみ)」、または「宇都志国王神(うつしくにたまのみかみ)」「大国王神(おおくにたまのかみ)」とも呼ばれます。
さらに大国主命(おおくにのぬしのみこと)は、類難辛苦の修養を積み統治者となったこと、国中の悪神を平定した程の質実剛健と勇気の徳があることから、「葦原醜男介(あしはらのしこおのみこと)」または「八千矛介(やちほこのみこと)」とも呼ばれます。しかし一般的には、尊貴を称えて「大己貴介(おおなむちのみこと)」といいます。
大己貴命(大国主命)は、福徳・縁結びのほかに、国土開発・山林・農業・医薬・知徳剛健等の守護神と敬われいます。御神徳は極めて高いことが古事記や日本書紀等に記載されています。
小國神社の歴史
小国神社の創祀は神代と伝えられているそうです。上代の事なので、起源は明らかではないとされていますが、欽明天皇の御代十六年(五五五)の二月十八日に本宮峯(本官山)に御神霊が出現し鎮斎されたといいます。その後は、山麓約六キロメートルの現在地の小国神社に都より勅使が差遣せられ、社殿が造営されて、正一位の神階を授けられたといいます。
以後、年々奉幣に預かり、文武天皇大宝元年(七〇一)二月十八日に勅使奉幣し、社記によれば十二段の舞楽を奉奏せられたとあるようです。
醍醐天皇の延喜七年(九〇七)に勅して社殿を改造。 戦乱が相次ぐ室町時代に至っても小国神社では神事祭礼を欠くことなく、朝廷からも民衆からも大変崇敬されて現在に至っているといいます。
しかし戦国時代には、武田信玄と徳川家康との確執などの軍事的な経緯から策略的に社殿を全焼させて、その後社殿を再建しているようです。 徳川幕府の時代にいたっても、国家から重んじられて、綱吉の時代には、横須賀城主西尾隠岐守に命じて社殿の改造もしています。そして吉宗からは四百両の修復料も寄進されている由緒ある神社のようです。
明治六年六月十三日に、小国神社は国幣小社となっています。 明治十五年三月八日には再び火災に遭い、本殿を全焼しています。しかしその後再建して明治十九年に完成。太平洋戦争後は昔ながらに遠江國一宮として崇敬され現在に至っているようです。
このように小国神社は非常に歴史があり、しかも古代より国家と民衆から愛され尊崇されて敬われてきた神社だったようです。
平成十五年九月十四日には、秋篠官文仁親王殿下同妃紀子殿下が来られて、十二股舞楽も御覧になられたようです。
小国神社の境内地及び社殿
小国神社の境内は、昔は相当広く、一宮のほぼ全域を領していたようです。現在の小国神社の境内地は三十万坪だそうです。
小国神社の本殿は明治十五年の火災後、明治十九年に再建しています。現在大きさは、昔と比べて三分の一の大きさだといいます。逆にいえば、昔は現在の小国神社の3倍もあったわけですね。現在の小国神社の大きさは、間口及び奥行三間二尺七寸・高さ四丈三尺だそうです。本殿の他に、末社・建造物があり、建物は五十余数あるようです。かなりあります。
境内一帯には背の高い神代杉がうっそうとして繁っています。勅使参遺跡も現存しています。境内を流れる宮川の清流が非常に趣をだして、境内には静寂と清涼さが漂っています。
本宮山は小国神社の北約六キロメートルにあります。標高511メートルの山頂に奥宮として奥磐戸神社があります。荒魂を祀り、一月六日が例祭、五月六日が青葉祭といいます。遠江国の中央に位置しているため、東西南北を一望に眼下に眺めることのできる風光明媚な場所です。天竜川・遠州灘の南景は格別です。
祭典日
○田遊祭一月三日創始は鎌倉時代といわれ、五穀豊穣・家畜安全を祈願する十二段の行事が執り行われる。(国選択の記録すべき無形民俗文化財)
○手折始祭一月十一日建築・土本の安全祈願を、墨打ち、手斧式を以て古式により奉仕する。○どんど焼祭小正月過ぎの日曜日境内神地(コトマチ池)前の焼納所で執行され、無病息災のおはたき餅が授与される。
O御弓始祭一月十七日社前において、古儀により御弓始式を執り行う。式において射った矢は、魔除けとなると伝えられている。
○節分祭二月節分の日古来より伝わる追灘式による鬼追い、宝槌振り、豆撒き神事を年男年女役の百余名の奉仕者が開運厄除を祈願して執り行う。
○初甲子祭寒明け後の甲子の日大国主命の御縁日として、この日は特に福徳・縁結びの御霊徳があり、願い事がままに叶うと伝えられる。本殿巡りの初甲子神事が行なわれて、参拝者で賑
○祈年祭二月十八日その年の豊穣と諸産業の繁栄を祈願する祭が執行される。
○例祭四月十八日御神霊が本宮峯(本宮山)に鎖斎された日であるとともに、勅使が参向し十二股の舞楽を奉奏された由緒深い日に例祭は執行される。十八日に一番近い土曜日・日曜日には国の重要無形民俗文化財に指定されている十二股の舞楽の奉奏があり、日曜日には神輿渡御の神幸祭がある。
O大祓式六月三十日・十二月三十一日
日常生活において無意識のうちにおかした「罪」や「けがれ」を芽の輪神事がある六月の夏越大祓と十二月の師走大祓にて祓い、心身ともに清らかな姿に立ち返る神事である。
○新賞祭十一月二十三日収穫と繁栄に感謝する祭で、二月の祈年祭とは対をなす。当日は近隣の農家で収穫された米・野菜類等の品評会、即売会もあって境内も大いに賑わいを見せる。宝物徳川家康公奉納の三条小鍛治宗近銘の太刀二振、大身槍一振。また、本殿裏の経塚より出土した古鏡・経筒の他、遠州報國隊の連判状・感状、等数点あり。
摂末社
○並宮御祭神は伊邪那美命、事解男命、連玉男命の熊野三神である。明治十五年以前は本殿玉垣内にあり、並座を以て並宮と称し、祭典日、社殿の結構、祭典の式に至るまで古より本社に準じていた。炎上後は境内社のハ王子社に合祀されていたが、明治百年を記念し、昭和四十三年十月に玉垣内旧社達に復興造営された。
○塩井神社二月十五日が例祭日で、塩筒老命を祀る。一宮山の伏間地区に鎮座する。古来より社殿の側より塩分の含まれた霊水が湧き出し、諸病平癒の御霊験(特に胃腸病)があり、遠近より多くの参拝者が訪れる。
○全国一官等合殿社四月八日が例祭日。延宝八年の社記や明治初期の神社明細帳によると、全国一の宮の御祭神を主として七十三社・五十余社の末社が境内外に祀られていた。なかには長年の風雨に晒されて腐朽した社殿、明治十五年の火災により消失した社殿があり、仮に境内末社は王子社に合祀されていた。平成元年十二月十八日、三間柱流造りの社殿を新築復興し、旧社頭時代の末社を合祀した。
小国神社、ことまち横町までの交通案内
小国神社
・静岡県周智郡森町一宮3956−1
・東名高速道路・袋井ICから約20分くらい
・JR新幹線「掛川駅」より40分くらい
・天竜浜名湖鉄道「遠江一宮駅」より送迎マイクロバス運行(日曜日のみ)
・約800台収容のできる無料駐車場あり
・宿泊は袋井方面が便利になります。